近視が進んで、視力の数値が下がると「目が悪くなった」といいます。
私は、あまりそのニュアンスが好きではありません。
診察室でお子さんの「目が悪くなった」と分かったとたん、絶望的な表情をする親御さんがいます。例えは悪いかもしれませんが、まるで「お宅のお子さんは毎日宿題を忘れてきます」「この子はうちの商品を万引きしました」と言われたかのように…。
確かに「目が悪く」なると、メガネやコンタクトを使う必要があり、日常生活にはやや不便をしますので、そのお気持ちも分からないでもありません。でも、本当に「悪い」ことなのでしょうか?
視力が低下する原因は様々で、それが病気によるものであれば治療が必要ですが、一般的には「目が悪くなる」とは「近視」が進んだ場合を指します。「近視」は程度にもよりますが、遠くは見づらくなりますが、近くはよく見えます。では、どうして「近視が進む」ことを「目が悪くなる」というのでしょうか?
一説には、戦時中の教育が影を落としている、という方がいらっしゃいます。その当時、「眼鏡をかけていては、戦争などできない」「近視は国辱」とされていたそうです。なぜなら近視だと「銃が打てない」「飛行機が乗れない」「ガスマスクが使えない」などの不自由があり「近視だとお国のお役に立たない」と洗脳されていた、とのことです。
さすがにそれから75年経っていますので、私はそれを全面的に肯定するつもりはありません。でもいまだにメガネをからかわれたり、親御さんががっかりする表情を見てお子さんが委縮するのは、もう時代錯誤と言わざるを得ません。「近視=悪いこと」と考えるのは、もうやめた方がよさそうです
なぜなら、現代の生活を考えると、「スマホ」「パソコン」などの手元の画面から「テレビ」くらいの距離はよく使いますが、それよりも遠方を見る機会はそう多くはないからです。そのため、むしろ「近視」は生活環境に適応する人間の「進化」という説もあります。また、近視では年齢を重ねても「老眼」にはなりにくい、というメリットもあります。
同様に、私はその「老眼」という表現も好きではありません。
検査の結果、近くを見る視力(近見視力といいます)が落ちているとします。その際「いわゆる老眼ですね」と患者様にお伝えしたときの皆様の苦笑いとがっかりした表情を何度も見てまいりました。まるで「あなたは年を取ったのですよ」という残酷な宣告の様で、こちらとしても大変つらいのです。そして私もそうなりつつあります。
「老眼」を、もっと素敵な表現にすれば気持ちも大分違うのにと考え、私は「目のセカンド・ステージ」という呼び名を使おうと思い立ちました。それが世間に普及するかは分かりませんが、少なくとも診療中はこのように患者様にお伝えしようと思います。ちなみに、「目のサード・ステージ」もあり、それは「白内障」になるときです。「セカンド・ステージ」「サード・ステージ」は、ともに人生で必ず通る目の変化なのです。
なお、近視が極度に進行すると「病的近視」といい、病気になるリスクが高くなりますので、それはある程度予防する必要があります。近視のしくみや「近視の進行予防」についてはブログの別の記事(→クリックでリンク)に詳しく記述しています。
また老眼、いや「セカンドステージ眼」についてはこちらの動画(→クリックでリンク)で詳しく説明していますので、ぜひご覧ください。